アルザス地方

パリから東へ500km程進むと、スイスとドイツの国境にあるアルザス地方に着きます。ここは非常にダイナミックな貿易地域で、その豊かな平原は農業はもちろんのこと、素晴らしい職人技、そして産業活動の発展を可能にしました。またアルザスには他の地域とは異なる伝統、習慣、そして美食があります。

アルザスの街並み

アルザスのユニークさは到着するとすぐに感じられます。小さい村でも大きな町でも建物は木骨造でできており、カラフルな漆喰の壁がダークウッドの骨組みに囲まれています。そして窓際に飾られた花々は私たちの目を楽しませてくれます。ヨーロッパの中心にあるアルザスの波乱に満ちた過去が様々な建築様式が混合した現在のアルザスの遺産を形成しています。その特異性は地元の言葉にもあらわれており、約20%の住民は今でもこの地域特有の言語であるアルザス語を話すことができます。フランス語ともドイツ語とも違う言語体系をもつこの言語は年長者から子ども達へと継承されています。

コウノトリ

アルザスは、コウノトリが生息するフランスで唯一の地域としても非常に有名です。この鳥はこの地域の象徴にもなっており、国から保護の対象として指定されています。


アルザスの美食

アルザスの魅力の一つは多様でおいしい美食にあります。おなじみのザワークラウトやタルトフランベをはじめ、ウィンスタブで味わうことができるベックホフなどのその地域を象徴した料理もあります。これらアルザスを代表した食事はもともとワイン生産者がワインを販売するために編み出したものです。アルザスにはこの他、フォアグラ、アスパラガス、家禽、狩猟肉、さらにはヴォージュマス、コイ、ウナギなどの魚もあります。

ザワークラウト

アルザス料理の起源は、ガチョウの脂肪やラードを使用した地元の食材を使用した農民、私たちが数人と共有し、数時間煮込む陽気な料理に滑らかな味を与えます。


もちろんこれらと共にリースリングやゲウルストシュトラミナーなどの美味しいアルザスワインや、小さな醸造所で作られた地元のビールが一緒に飲まれることが多いです。それからすでにご紹介しましたミュンスターのような地元の美味しいチーズも忘れないでください。

ひとくちメモWinstub (ウィンスタブ)とはアルザス風の居酒屋で、現在では地域の料理を地元のお酒とともに味わえる場所です。しかし元々はワイン農家が生産したワインを試してもらう場所として始まりました。

アルザスの美食は塩辛いものが多いですが、食事の終わりにはリンゴやプラムやブルーベリーなどの程よい甘さの絶品タルトを味わえます。ブリオッシュにレーズンとアーモンドを加えたクグロフは、有名なハニージンジャーブレッドと同じように、朝食や軽食として楽しむのに最適です。また食事の終わりには地元の果樹園の果物から作られたブランデーを味わうことを忘れずに!

ヴォージュ山脈

ロレーヌ地方とアルザス地方の間にはヴォージュ山脈があります。この山脈はブナ、スコッツパイン、スプルース、カラマツまたモミといった多くの種類の針葉樹林で覆われていて美しい緑の色合いが私たちの目を楽しませてくれます。ヴォージュの最高地点は1,400m程なのでアルプスの山々に比べれば高くはありませんが、冬の寒さが厳しい場所です。この古い山脈の山頂は侵食によって形作られていて特別にバロン(=玉)と呼ばれています。ヴォージュ山脈は綺麗な湖や池も多く魚釣りや、また合計で2,000kmにも及ぶハイキングのルートあるので山小屋に泊まって地元の料理を楽しむこともできます。


ヴォージュの北部は自然の森が土地の三分の二を覆っています。残りの部分は、例えば砂岩の崖、谷、沼や川といった自然の他、農地や果樹園などでできており、自然と人間が作り上げたものが混ざった多様な風景が見られます。

Musee Lalique ラリック美術館

またこの地域では15世紀頃からガラス作りが始まりました。この地の豊かな自然遺産にはガラスの元となる砂岩、ガラスを熱するためのシダそしてそれを冷やすための川などがガラス作りを可能にしました。当時のガラス職人は木材の需要に応じて移動する遊牧民の人々でした。

このような背景をもとに今日でも多くの村が重要なガラス生産を行なっています。こうした村の中からより高い技術を持った限られた生産者達が王室御用達として選ばれ、ガラスやクリスタル細工を王族に献上していました。当時と比較すると生産者の数は減ってしまいましたが、現在でも最上級の品質を誇るガラスが生産されています。こうした工場の見学ではフランスの歴史と技術力の高さを目の当たりにすることができて充実した経験となります。

ルネ・ラリック

皆さんはこの地域で大変有名なガラス職人のルネ・ラリックをご存知でしょうか。ヴォージュにあるヴェンゲン美術館で彼の作品をたくさん鑑賞することが出来ます。

又、箱根にあるラリック美術館への訪問もお勧め致します。

  • Musee Lalique ラリック美術館
  • Musee Lalique ラリック美術館
  • Musee Lalique ラリック美術館
  • Musee Lalique ラリック美術館
  • Musee Lalique ラリック美術館
  • Musee Lalique ラリック美術館
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その他、ヴォージュでは過剰な狩猟によって絶滅危惧種となってしまったオオヤマネコの保全に向けた取り組みを行なっています。

アルザスとロレーヌは北から南に土地を縦断すヴォージュ山脈によって2つに分かれていますが、地域、歴史、伝統など文化的には多くの共通のつながりを持っています。ヴォージュにはいくつかのウィンタースポーツリゾートがあるので地元の人達だけでなく、家族的な雰囲気と壮大な景色とを併せ持つこの環境でノルディックスキーを楽しむ人々の間でも知られています。

マジノ線

ヴォージュにはこうした魅力的な自然と村の他、マジノ線というフランスの歴史を語る上でも大切な場所があります。これが砦の写真です。


マジノ線はフランスとドイツの国境に作られた要塞線で、名前はフランス陸軍大臣アンドレ・マジノが建設を決定したことに由来します。第一次世界大戦後の1930年代のフランスはドイツの脅威の高まりに直面していたため、ドイツと国境を接する東部のこの地域に安全な要塞線を築き国境警備を強化する必要がありました。
元々この要塞線は北海からフランスとベルギーの国境を通り、最終的には地中海に至るまでを完全に封鎖する計画でした。実際には10年の歳月をかけてロレーヌとアルザス地域に58、そしてアルプス南部の地域に50の要塞や砦が作られました。
しかしベルギーとの国境は守られていなかったため、第二次世界大戦中にフランス陸軍が希望していた結果を生むことはできませんでした。今日では歴史と遺産の愛好家のおかげにより、これらの砦の多くは維持され、いくつかは訪問することができ、戦争の現実と多くが地下にある砦に住んでいた人々の生活をよりよく理解することができます。

ミュンスター

ヴォージュ山脈のさらに南に標高1,362mと 2番目に高い山頂であるル・オネックと同じ名前を持つ有名な非常に香りの強いチーズで有名なミュンスターの町があります。7世紀に僧侶たちが修道院を作り、その周りにミュンスターの小さな町が開発されました。この町は第一次世界大戦中に約85%が破壊されましたが、ぜひ訪れるべき非常に興味深い遺産がまだあります。


ミュンスター周辺は高山の牧草地となっているためのどかな風景を楽しめる絶好のハイキングコースとなっています。酪農家によって食事処も運営されているので、新鮮な牛乳から作られるこの地域の典型的な美味しい食事を楽しめます。

少し高い場所まで登ると、この尾根に沿った美しいハイキングコースの周りに、谷や丸みを帯びた山頂といったさまざまな風景が広がります。何度か峠を越えるとアルザスとロレーヌの間にあるヴォージュの間を通過します。ヴォージュはこの二つの地域を隔てるのではなく共存を促す形で存在しています。 
道を下るとアルザス平野南部に着きます。スイスを源流とするライン川は全長1,233 kmもの長さがあり、川は南から北に流れ最終的にはオランダの北海に合流します。その間にはアルザス平原を通過してドイツと国境を接するこの地域を形作っています。フランスとスイスの国境に位置するベールの近くでは、ライン滝の壮大な光景を見ることができます。


アルザス平野にはワイン用のブドウを始めとした果汁園や野菜畑が広がっており、のどかな田舎の風景を見ることができます。

アルザスの繊維産業

昔のミュールーズ 工場

アルザスには1746年にミュールーズに最初の工場が設立されたことから始まった織物産業のの長い歴史もあります。この産業は1970年代頃にアジアの国々が台頭して熾烈な国際競争が始まるまでアルザスの主要産業として発展しました。

ここ数年、アルザスの製造業者は伝統的な技術と最新のデザインとを融合させてアルザス特有の生地の製造を続けています。これについてはまた次回お話ししましょう。

ストラスブール

アルザスの首都であるストラスブールがある北に向かってワイン街道を続けましょう。紀元前12年から知られるストラスブールは、その名前が「道路の街」を意味し、ヨーロッパの中心に位置しているため、侵略、破壊、略奪など、波乱に富んだ過去を経験してきましたが今日では旅行で訪れるのに最適な街となりました。レストランやウィンスタブで楽しめるアルザス地方独特の料理だけでなく、ここにしかない建築遺産も残されています。

ストラスブールに到着する前に、遠くの岬にオー・ケニグスブール城の雄大な姿が見えます。古くからこの砂岩の丘の頂上にありこの城は地域を領主の住まいとして存在し、アルザスを横切る道路やロレーヌに通じる道路を監視し、塩、小麦、さらにはワインの流通を管理していました。城壁の一番高い所からは、ブドウ畑の真ん中にある教会の周りに建てられた村々、森が点在している様子を地平線上に見ることができます。

ライン川

城は12世紀頃に建てられて、ハプスブルク家を含む貴族や特権階級の人々によって管理された後は長い間放棄され、1899年にアルザスがドイツの支配下にあったときにカイザーヴィルヘルム2世に贈呈されました。彼は中世時代の城に大変興味を持っていた人物で、彼の努力により城は昔の輝きを取り戻しました。

モンサントオディール から

平原を見下ろしながら北へ向かう道を進むと、7世紀に住んでいたアルザスの守護聖人にちなんで名付けられたモンサントオディールが遠くに見えます。毎年多くの人が多くの小道を通って景色を楽しみながら頂上(753m)まで歩いて巡礼をしたりします。

アルザスのワイン畑

そこからさらに北へ行くと頂上から見ていたブドウ畑に囲まれた村に到着します。上から見るのと実際に訪問するのとではまた違った楽しみがありますのでぜひ訪ねてみてください。

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